活動人生の捧げ方

最近受験に向けてテストも多くなってきて高校も近いんだなって思い始めた。

私は活動に専念できる環境を作って活動に専念するために全日制じゃなくて通信制高校を選択した。まず親からはめっちゃ反対された。ネットが普及してきたとはいえ、通信制高校はあまり親からすれば馴染みがない。もちろん兄弟たちも通信制高校に通っているわけでもないから私の家庭では初めてのことだった。

通信制高校に行きたい。 そう言って親と話をしたとき、私はまだ全然学校にもいけない不登校児だった。不登校の娘が居るだけでも親からすれば他人の目が気になることだと思うけれど周りにも通信制高校に通っている人が居ない中、不安が凄く大きかったと思う。

「今学校に行けてないのに通信制高校に行ったところで行けるの?」って言われたけれどそれはこれからの自分の話。この先どうなるかなんてわかるわけもないその質問に私は答えられなかった。

親からすれば通信制高校なんて馴染みのない話であって特例だった。

泣きながら、「もう普通に生きて。」そう言われた。

私の中の普通と親の普通。そんなの一緒なはずがない。でもそのときの私には私って普通じゃないんだとしか捉えられなくて、自分の嫌なとこばかり出てきてしまった。

 

学校にも行けてないし部活ではキャプテンも任せて頂いているのに部活にも出れてない。成績なんか0点どころか斜線で。分かってるのに体はついてこなくて。なんで私ってこんなんなんだろう。頑張ってないじゃん。なんで生きてんの。生きてたら親の恥でしかない。こんな娘要らないよ。生まれてきちゃ駄目だった。死にたいっていうより死ななきゃしか思えなかった。死ななきゃいけないってずっと泣き叫んでてずっと死のうとしてた。それを親がずっと止めてた。過呼吸にもなってそこからの記憶は殆どないし、親にも聞ける勇気なんかない。意識失って気づいたら病院に居た。落ち着いた頃に親に言われた。「生まれて来なかったらよかったなんて思ったことないよ」って。

私は一生懸命その学校に行きたい理由を話した。あの人みたいになりたい。大好きな音楽をもっと知りたい。だからこそここの高校にいってその間にしっかり自分と向き合いたい。って。

「じゃあ学校とか生活とか今のせあにはしんどいことのほうが多いと思うけどちょっとずつ頑張ろうね」って言われた。

それから私は活動を始めた。七瀬せあとして。今まで何度も辞めてきた活動だったけどものすごく素敵なリスナーさんに恵まれて今は5ヶ月も活動を続けれている。まだまだだけど。

私は活動する上で自分が大好きな音楽が出来てあこがれの人みたいに一生懸命活動できるかっこいい活動者になれたらそれでいい。有名になろうなんてそんなのはその後の話でしか無くて今は毎日をしっかり前向きに生きることを頑張る。

活動がきっかけで出会えた人がいて私はその人のおかげで学校にも行けるようになった。私はほんとにこの活動をしててリスナーさんと出会えてよかったと純粋に偽り無く言える。それはこれからの七瀬せあの活動人生全てをかけて証明してこの恩も活動人生全てをかけて返して行くつもり。

七瀬せあが終わるのはそれが全て終わってから。

それまで七瀬せあは終わりません。