中途半端

自分から『大丈夫?』とか『どしたん?』とか言うくせに最後まで助けない人ってものすごく無責任だと思う。自分から声かけてんのに。それが何気ない声掛けでも自分が声かけたことには変わりないのだから最後まで助けないのは無責任。

これは私が人と関わるときに1番気をつけていること。

例えば話聞くだけ聞いてなにもしない人とか。せっかく話してくれたのに。

聞いて解決するならみんな解決してる。話聞いてくれるだけで良いってその人が言うのならそのとおりにするべきだと思うけれど、相談乗るよと話聞くよって違うから。

その人の問題を解決するまでが自分から手を差し伸べた人のするべきこと。

千と千尋の神隠しの中のセリフで「手ぇ出すんなら、しまいまでやれ!」ってセリフがあるけれど本当にこの言葉に尽きる。

中途半端に手出して期待させといてなにもしないのなら元からしないほうがいい。

だから言葉に並行した行動ができるようになるべきだと思う。

私は自分が手を出したのなら最後までやり遂げられる人間になりたいと思う。

無意識で声かけといて無責任に放置が1番怖い。

頑張る

頑張りたいときに頑張ろうとか頑張れそうなときに頑張ろうとか言うけど現実そんな甘くない。

その逆って、頑張りたくないときは頑張らなくていいじゃなくて頑張れないときは頑張らなくていいであってほしい。

頑張れないときに頑張りたくなかった人たちが頑張らなかったら頑張れない人が頑張らないといけなくなる。だからきっと頑張る頑張らないってその人の意志でしか無くてその意見を言えなかった人が苦労するんだろうな。

頑張りたいと思っていても体はついてこなくて頑張れない人もいると思う。

頑張りが目に見えるか見えないか。それだけで自分の頑張りを評価したりするような人とは関わりたくない。またこれも似た話で関わりたくなくても関わらないといけないときってあるんだよね。

難しい。

 

言いたいのは頑張ろうが強制にならないことを祈ります。

活動人生の捧げ方

最近受験に向けてテストも多くなってきて高校も近いんだなって思い始めた。

私は活動に専念できる環境を作って活動に専念するために全日制じゃなくて通信制高校を選択した。まず親からはめっちゃ反対された。ネットが普及してきたとはいえ、通信制高校はあまり親からすれば馴染みがない。もちろん兄弟たちも通信制高校に通っているわけでもないから私の家庭では初めてのことだった。

通信制高校に行きたい。 そう言って親と話をしたとき、私はまだ全然学校にもいけない不登校児だった。不登校の娘が居るだけでも親からすれば他人の目が気になることだと思うけれど周りにも通信制高校に通っている人が居ない中、不安が凄く大きかったと思う。

「今学校に行けてないのに通信制高校に行ったところで行けるの?」って言われたけれどそれはこれからの自分の話。この先どうなるかなんてわかるわけもないその質問に私は答えられなかった。

親からすれば通信制高校なんて馴染みのない話であって特例だった。

泣きながら、「もう普通に生きて。」そう言われた。

私の中の普通と親の普通。そんなの一緒なはずがない。でもそのときの私には私って普通じゃないんだとしか捉えられなくて、自分の嫌なとこばかり出てきてしまった。

 

学校にも行けてないし部活ではキャプテンも任せて頂いているのに部活にも出れてない。成績なんか0点どころか斜線で。分かってるのに体はついてこなくて。なんで私ってこんなんなんだろう。頑張ってないじゃん。なんで生きてんの。生きてたら親の恥でしかない。こんな娘要らないよ。生まれてきちゃ駄目だった。死にたいっていうより死ななきゃしか思えなかった。死ななきゃいけないってずっと泣き叫んでてずっと死のうとしてた。それを親がずっと止めてた。過呼吸にもなってそこからの記憶は殆どないし、親にも聞ける勇気なんかない。意識失って気づいたら病院に居た。落ち着いた頃に親に言われた。「生まれて来なかったらよかったなんて思ったことないよ」って。

私は一生懸命その学校に行きたい理由を話した。あの人みたいになりたい。大好きな音楽をもっと知りたい。だからこそここの高校にいってその間にしっかり自分と向き合いたい。って。

「じゃあ学校とか生活とか今のせあにはしんどいことのほうが多いと思うけどちょっとずつ頑張ろうね」って言われた。

それから私は活動を始めた。七瀬せあとして。今まで何度も辞めてきた活動だったけどものすごく素敵なリスナーさんに恵まれて今は5ヶ月も活動を続けれている。まだまだだけど。

私は活動する上で自分が大好きな音楽が出来てあこがれの人みたいに一生懸命活動できるかっこいい活動者になれたらそれでいい。有名になろうなんてそんなのはその後の話でしか無くて今は毎日をしっかり前向きに生きることを頑張る。

活動がきっかけで出会えた人がいて私はその人のおかげで学校にも行けるようになった。私はほんとにこの活動をしててリスナーさんと出会えてよかったと純粋に偽り無く言える。それはこれからの七瀬せあの活動人生全てをかけて証明してこの恩も活動人生全てをかけて返して行くつもり。

七瀬せあが終わるのはそれが全て終わってから。

それまで七瀬せあは終わりません。

リスナーの定義と名前について

リスナーさんと友達みたいに距離の近い活動者になりたいなってずっと思ってた。

リスナーさんのことはもちろんものすごく大事に思ってきた。リスナーさんとも仲がいいと思っている。だからこそ、配信もうちょっとこうした方がいいんじゃない?とか最近コメントがしづらいよとか配信をより良くするためにリスナーさん本人から直接意見が聞けた。私はそれがものすごくいいことだと思っている。自分自身活動を始める前までは視聴者やリスナーとして配信を見たりしていたから。その時、最近コメントしづらいなとかもうちょっとこうした方がいいんじゃないかなとか思ってても言えなかった。だからそうやって意見を言ってもらえることがとても嬉しかった。

自己肯定感が低い。よく言われてきた。人前では冗談で見栄を張ったり強がったりしてきたが、私なんか私なんかって沢山思ってきた。最近それが悪いように出てきていて、自分がリスナーだとおもってフォロリクを通した人でもリスナーって呼んでいいのかなって思ってしまった。せあのリスナー。過疎配信者だし周りからこの人のリスナーなのとか言われたらその人が可哀想だなって思ってしまった。リスナーって呼べる定義ってなんなのかわからなくなってしまった。こんなこと気づかないほうがこんなに悩まなくて済んだのかもしれないけど私はこういうことを考えるのも大事なことだと思っている。だからしっかり考えようと思う。やはりわかりやすくファンマとか作るべきかなとも思った。でも私、ずっと居るよとかせあのこと好きだよって言ってくれる人の言葉めっちゃ信じてるの。活動者はそういうの1個1個信じてたらそう言ってた人が居なくなったときに辛くなるだけだから信じないほうがいいよ。って言う人も居る。でもせあはせっかくこんなせあなんかにもったいない言葉を使ってくださっているのだからその一瞬だったとしても信じたいって思った。もちろん居なくなったら悲しいけどそれは信じた私の自業自得です。それでもそういう言葉をかけてくれる人の事を信じて活動する。この活動スタイルは誰になんと言われようと変えるつもりはない。

推しマを作ったらつけたリスナーが害悪行為をするから周りからみた民度が悪くなる、だから推しマを作らない。そういう人もいるけど私はそんな人居ないと思ってるしもしそういう人はいたとしてもそうなるまでに対処できなかった活動者の方に問題があるのではないかとも思う。

私が推しマを作らないのは、自分に自信がないからだ。名前ってものすごく大事だと思う。リアルで生きていくうえでもものすごく大事だと思う。たまに配信で話すけど私は私の本名がものすごく嫌いだ。だからこそ人一倍名前には思いが強いと思っている。そんな大事な名前の横に自分の推しマがあって失礼じゃないか。名前を汚してしまうんじゃないか。そう思ってしまう。だから作らない。

作って欲しい。そう言われたこともあった。リスナーさんののぞみならいつか叶えてあげたい。だからまずは自分の活動や七瀬せあに自信をもてるようになれることが大切だと思う。時間はかかるかもしれないし、もしかしたら作らないかもしれない。推しマがなくても推してるって伝わればそれでいいかなとも思っているから。その人がせあのこと推してるっていうのはせあが知ってればいい。他の誰かが知ったところで意味はない。だから推しマがなくても伝わるくらいの気持ちで居てほしいなと思う。

それと名前は大切にして欲しい。せあも本名は嫌いだけど大切にしていないわけじゃない。自分の全部を好きで居なくていいからせめて自分は大切にしてね。

真のリスナーへ

年齢を公開したくなかったのはなめられるから。自分の事を応援してくれる目的が変わってくるから。だから言いたくなかった。きっと離れていくんだろうなって思った。

でも公開しても誰も居なくならなかった。フォロワーさんの数を見てとても安心したのを今でも覚えている。

新規の方とかはそういう話を知らないからやっぱりそういう目的の方もいる。定期的に言うべきか。でもその話をすれば重くなるのではないかと思っている。だからここに書き記して置こうと思った。大事な人のために。ちゃんと思ってくれている人のために。

このブログまでちゃんと1字逃さず見てくれてる人なんて片手で数えられるくらいだと思うし何なら見られても居ないかもしれない。だからこそここに書き記す。ほんとに思ってくれている人だけが知っていればいい。他に伝えても意味がないのだから。

冷めていると言われてもいい。私はずっとこういう考えなのだから。七瀬せあの全部に同意しろというわけではない。そんなのできる人なんて居ないし。応援しているから必ずその人と同じ考えでないといけないわけではない。考え方なんて自由なんだから。

思うくらい自由。誰にも迷惑かけない。死にたい殺したいうざいとか、どんなことでも思うだけなら自由。わからない人はわからないくていいしその考えが間違っているとも思わない。私の考えが間違っているとも思わない。正解は一つじゃなくていいから。少数派でも正解かもしれない。

結局何が言いたいのかというとこうやって七瀬せあについて知ろうとここまで読んでくれていること、ほんとに感謝しています。

都合よく使われることが多かった私はこんなに知ろうと思っていただけたことがとても嬉しい。基本的にリスナーさんに関してオキニとかオキラとか言う考えは持ったことはない。これはせあの活動人生全てをかけて証明していく。だからここまで読んでくれたとしてもお気に入りだとかそういう感情が湧くわけでもない。だけどここまで読んで切れたリスナーは真のリスナーだと思う。ありがとう。

ブログについて

こんにちは。せあです。ブログはじめました。

特に誰かの為にとかそういうのじゃなくて自己満です。

もともと思っていることを文字に起こしておくのが好きなのでせあのこともっと知りたいよって人とかいろんな意見知りたい人とか向けです。

よく言われるのですが思考がぶっ飛んでいることもあるので賛否両論あることは重々承知しておりますし、あまり世間的に見たらよろしくない内容等も含まれるかもしれないので、見る際は自己責任でお願いします。責任はとりません。

活動に対する思いとか、後々ちゃんとは話す予定なのですが今までの人生あったこととか、私なりの考えとか書いていけたらなと思ってます。誤字、脱字あるかもですごめんなさい。

何も知らない人に発信しても需要がないので、リスナーさんたちに伝わったら凄く私としても嬉しいです。

投稿頻度もばらばらだと思いますが投稿した際は、Twitterの方でリンク貼らせていただきます。よろしくおねがいします。